楽しいひな祭の思い出をつくりましょう
お母様のひな祭はどうでしたか?
これからお嬢さんの初節供をお祝いする前に、少しお母様の時のことを思い出して下さい。お母様方とお話していると、概ね2通りに分かれているようです。
とても楽しい思い出があるお母様はご自分が幸せだった事は子供にもしてあげたいと思うのが親心だと思います。
また、あまり良い思い出のない方(そんなに多くいない事を祈りますが)や,どちらでもない方は、ご両親から「飾るのがめんどうだ」としか聞いていなく、どんな意味が有るのかも知らずに、結局あまり飾らなくなりすっかりタンスの肥やしだったのではないでしょうか。
楽しみ方が解らず、どうお子様に接して良いか解らない方でも心配ありません、私の話をよく聞いて、お嬢さんと一緒に家族全員で楽しいひな祭の思い出をたくさん作ってください。
私事ですが、我が家には娘のみ3人姉妹です。
長女には七段飾りを作りました、長女はやっと授かった事もあり、ちょうど新型の官女を思案中だった為、かなり凝った三人官女を仕立てました。
二女の時は簡単な物でと考えていましたが、妻は自分が二女だった為「汐汲み」の舞踊人形しかなく寂しい思い出が有るとの事で、3段五人囃子までのお雛さまになりました。
三女には「二女まであってなぜ私だけ」と言われないようにと、2人飾りですが大きさでは一番大きな殿姫にしました。三人三様の雛人形にした事で、皆自分のお雛様が一番いいと喜んでいます。(^v^)フフフ
我が家では、小さい時からお雛さまの意味やお話をしながら、大事に飾る姿を見せながら飾りましたし、保育園からはお手伝いさせて一緒に飾りましたので3人とも自分のお雛様を大切にし、それほど酷い扱いはしないで大きくなりました。
それでも、様々な汚れや破損は有ります。二女の殿は木手に無理やり勺を持たせ指が折れています、三女の姫扇は無理に開いて止め糸が切れています。顔もそれぞれ汚れて少し煤けて、紅も色褪せています。
それでも「身代りで傷つく」事を教えていますし、親の知らないところで悪い事をすると、「お雛様が代わりに汚れたり、傷つく」とも言っているので、あえて私は修理していませんが、皆、自分自身に思い当るところがある様子です。そして、今の自分のお雛様をいとおしく、身近に感じているようで、「直して」とは言いません。
そして、毎年思い出したように「出して」とせがみます。またそれぞれが保育園で作ったお雛様の工作や絵も人形と一緒に仕舞って有るので、チョッとしたタイムカプセルになって思い出しては、楽しんでいます。
TV番組「所さんの目が点」での実験では、子供にお雛様をそばで見せるだけでも脳内に活性化物質が発生し、さらに持たせると活性化物質は Max 値を記録する事が解っています。
昔の女の子は自由に持って遊べてママゴト遊びや、お道具の重箱や箪笥などに大事な物を仕舞ったりして遊んだものです。そして何年か後に箪笥を開けて昔の自分に「タイムスリップ」なんてね、・・・私も幼い頃、従兄妹のお雛様で殿を持たされてお父さん役やらされました。(*^.^*)!・・でも私はもっぱら「刀」に興味が行ってしまい、上の空だった思い出が有ります。
ですからお子様が触れて遊べるようにしてあげて下さい。
ママゴト遊びさせちゃいましょう。
お店によっては販売員が持つ時に白手袋をするなど、売り手側が、まるで芸術品のように売っているお店も有りますが、作っている職人で手袋をして作る人はいません。マスクをして作る事は有ります。(頭師は左手に手袋を付ける人はいる)人形に付いてくる白手袋は、お顔を触るときに使用すればそれで充分です。
あえて書かせて頂きますが、勘違いしないで下さい、雛人形は芸術品では有りません。単なる伝統的工芸品です。
事実を書きますが、雛人形で日展入選作品は存在しません。
そりゃー江戸時代のお雛様は現存数が極端に少なくて、資料的価値から100万円以上の値段が付きますが、それでも当時の貨幣価値から考えても決して値上がりしている訳では有りません。そもそも当時は、上流階級しか買えない値段でしたので現在の100万円以上していても不思議では有りません。
それに、現在では生産数が江戸時代とは比較にならない程多く、100年・200年たっても価値が上がる事はないでしょう。
また、お雛様には「中古品」という概念は有りません。神社の御札と同じでその子だけのお守りですからです。人が持っていた御札を中古品として買いたいと思う人はいないでしょう。質屋も質草には取りませんからね・・・質屋はちょっと古かったですね。リサイクルショップですね。
大事にしようとするあまりに,触らせまいと子供さんを叱ったりすると、子供心にお雛さまに嫌な思い出が残る事に成ります。
子供さんの興味や探究心を断ち切らないようにしましょう。
それで、たとえ壊れてしまっても良いんです。
汚れや傷を見つけたらチャンスなんです。お嬢さんに次の様に話して下さい。
「お雛様のお顔傷付いちゃったね、でも○○ちゃんのお顔きれいなままよ、良かったねー!!」「お雛様が身代わりに・・守ってくれたのね お雛さまありがとう。」
これで充分お子様への心の教育ができました。
もうこれ以上書かなくても賢明な方なら充分お分かりでしょうが、お雛さまを飾る時・仕舞う時、幼稚園くらいから簡単な事からお手伝いさせて一緒に色々な話をしながら、人形に触れ合いながら行う事が大切な事だと思います。
そのお宅のお雛さまの価値って、いかにお子様に正しく伝わったか否かで決まるものだと思います。
※補足:誰しも生まれて来た時の事は覚えていないものです、子供はみな多かれ少なかれ、いろいろ悩みながら大人に成長するものです。先日映画「メトロ(地下鉄)に乗って」を観ました。
主人公が愛人と共にタイムスリップで愛人の生まれる少し前(母親おなかに自分がいる)に行き、母親とその不倫相手(父親)がおなかの中の自分が生まれて来るのを大変喜んでいる光景を目にし、不倫の結果生まれてきた事を悩んでいた愛人が「両親に愛され必要とされ生まれた。」その出生の意義に納得し満足できたように、ある行動を起こすのですが・・・
そんな自分が生まれてきた時の事は覚えていないが、確かに両親も祖父・祖母もみんなで、自分の誕生を喜んでくれていた、その確かな証がお雛様なのです。そうした確かな愛が、お子様が悩んだ時、大きな支えになってくれるでしょう。私はそう思います。
ひな祭りに欠かせないのは家族全員で食事をする事です。
ひな祭は桃の節供とも言われ日本古来の五節供のひとつです。
五節供とは,
・正月七日「人日」別名「七草の節供」
・三月三日「上巳」別名「桃の節供」・五月五日「端午」別名「菖蒲の節供」
・七月七日「七夕」別名「七夕の節供」
・九月九日「重陽」別名「菊の節供」の総称で、古来から風習として在った行事を正式に、江戸時代に徳川幕府により祭日と定められた国民の祝日です。
五節供はちょうど、季節の変わり目であり、生活の節目にあたります。詳しく知りたい方は「江戸時代の食文化、五節供について」の外部リンクページをご覧下さい。
ここまで私は「節供」と一貫して書いてきましたが、何故なの?「節句」でしょ?と思った方も多いでしょう。古くは節供と書くのがあたりまえで、「供」とは「供する」ことで、人が共に食することの意味です。これは皆で一緒にご馳走を食べる事がセットになったイベントだった訳で、「節供」の字にも意味が在り、正しい字だと私は思います。現在では「供」字が法事の供養のイメージが強く一般的におめでたい事には使われなく成ったようですが、現在使われる字が正しい字とはかぎらないと思います。それにしてもなぜ「句」なのでしょうか?歌を詠む日でもないのに。・・・誰か教えて!!
以上のことからもお分かりでしょうが、忙しいお父さんお母さんも、ひな祭りくらい
子供と一緒に食事する時間を作りましょう。それが家族の和に繋がりお雛様の楽しい思い出に成る事でしょう。
その、メニューは特に決まっている訳では在りません。まず、旬の物を食すれば、より良いと思います。蛤のお吸い物・菱餅・ちらし寿司・白酒・等は代表的なメニューです。
蛤などの2枚貝はその咬み合わせが絶対に他の貝では合わない為、夫婦の貞操を意味する物とされ、ひな祭は結婚も意味しますので、相応しいものです。昔は「貝合わせ」の遊びも行われ、その「貝桶」は当時の嫁入り道具の一つでもあります。今でも七段飾りのお道具に含まれているものも有ります。
お雛様には大きく分けて2つの意味が在ります。ひとつはお嬢さんに降りかかる災いを人形に背負わせる。「身代わりの願懸け」と、もうひとつは「将来良い縁に恵まれ幸せな結婚をして欲しい。」そんな親が子を思う愛情の証しなのです。
詳しくは「日本人と人形」のページで書きますが、平安時代のお人形遊び(ひいな遊びと呼び、現在のママゴト)と、紙や藁で作った簡素な人形(ひとがた)に自分の厄や災いを託して、海や川へ流したの行事が結びついたものです。またお雛様は男女1対の人形である事から、お二人で結婚式を挙げている様子を表しています。フルセットの七段飾りには、はっきり表現されています。人形の下段には嫁入り道具一式が有り、披露宴を盛り上げる 五人囃子 宴の給仕は三人官女 門番は 随身 宮使いの 仕丁。
こんなに立派なお殿様のお宮に籠や・牛車に乗って興しいれ(嫁入り)する、と言った夢物語が秘められているのです。
以上から、お雛様の最小単位は二人で、姫はお嬢様の身代りで将来のお姿です。殿は未来の結婚相手で、殿姫以外の人形はお供になります。
20歳でお役目御免
上記の意味のうち、基本的に親や祖父祖母が赤ちゃんに与える物ですから、身代りとしてのご利益は子供の時期だけと考えられています。
成人し、ちゃんとひとり立ち出来る時期には、お役目御免なのです。ですから今お持ちのお母様のお雛様は、立派にお役目御免に成っています。(お母様が未成年でも、親になった時点で成人と言えます。)仕舞い場所にお悩みでしたら、今年はお嬢様の真新しいお雛さまと一緒に飾り、も一度お人形に感謝していただき、お祭り後に人形供養に出していただくのが良いと思います。
人形供養はそれぞれの地域の人形協会等で、年に一度行なわれています。
登場人物紹介
殿・姫(親王)
殿・姫の事を二人で、親王様とかまたは内裏雛とも呼びます。明らかに天皇・皇后のお姿を模しているのですが、決して天皇様とは呼びません。
内裏とは天皇の私的区域の事を指します。ですから、お雛様の童謡の歌詞に「お内裏様とお雛様」と有るのは同じ事を繰り返していることになります。チョット間違いですね。
そして、お二人は結婚式をされていますので、既婚者です。江戸時代には結婚されると男女共歯を黒く染めていました。お歯黒と呼ぶ、虫歯や歯周病予防の効果があることも知られています。
京式のお顔はこの風習に則りお歯黒にして有ります。
お歯黒の習慣は古墳の人骨や埴輪にも見られ、中国の魏志倭人伝にも記されていますので相当昔からの習慣です。時代により決まり事・規則には変化があり、お雛様では江戸時代の風習が色濃く残っています。当時としては、お歯黒をする事は権威と財力の象徴であり、美意識のひとつでした。1970年代位まで静岡市でもお歯黒をしている方が居た事を覚えています。
並び方は、現在一般的には向かって右側に姫を置きますが、京都などで古来の伝統的な上座に殿を並べる、向かって右側に殿を並べる事も間違えでは有りません。詳しくは「お雛様左右ドッチ」をご覧下さい。
三人官女
三人官女は宮中で姫の世話をする女官給仕ではなく、歌も詠め、楽器も奏で、家庭教師もできた立派なキャリアウーマンです。有名な紫式部や清少納言もこのような人でした。
現在、最も一般的な(※あくまでも多いだけで他の形式も有ります)、京式のお顔は、真ん中に座っている方は既婚者で出産経験の有る方です。これは江戸時代の決まりで、お歯黒・引眉(眉を剃り眉よりも高い位置に「殿上眉」という長円形の眉を墨で描く決め事に則っています。向かって右に口閉じ・眉ありの方、向かって左が口明け・眉ありの方になっています。
ここで少しおかしいのは、左右の官女は眉を剃っていないのに殿上眉も有ります。これは間違いなはずです。
昭和以前の官女には、上座である向かって右側に年長者の女官長を飾った例も有りました。
現在の京風顔の標準的なお顔と並び方。
下は、明治時代と思われる、三人官女
上座である向かって右側に年長者の女官長を飾った例、眉の上に殿上眉は無い。(鯉川支店 山形県鶴岡市本町)より
五人囃子
五人囃子は能のお囃子を奏でる五人の楽人をあらわし、それぞれ向かって右から「謡」「笛」「鼓「大皮」「太鼓」となる。音の小さい順に右から飾ると覚えれば、覚えやすい。
(能囃子の代わりに五人、又は七人の雅楽の楽人の場合もある)
随身
随身は時に、有名な歌によって右大臣・左大臣とも呼ばれてしまっていますが、それは間違いで大臣ではありません。本来は宮廷を守る衛兵、つまり、近衛府 (このえふ)です、弓矢と刀で完全武装しています。大臣でしたら笏を持たなくてはなりません。
近衛府とは内裏の警備(一番内側の門を担当)、の武官です。左右があり、それぞれ、左近衛府、右近衛府、略して左近、右近。お雛祭りの左近の桜、右近の橘は、内裏紫宸殿、南の階の東側の桜の側に左近衛府の役人が、西側の橘の側に右近衛府の役人が、儀式の際に立ち並んだことによるもの。
ちなみに、左右は殿から見て左が左近衛府、右が右近衛府である。
仕丁
仕丁は京式と関東式で違いがあり、京式では白の水干(絵絹)を着せ、宮廷の雑役に携わっていた人達で、持ち物は箒、塵取、熊手です。これに対して関東式は金襴の衣裳で、沓台、台傘、立傘を持った大名行列にお供をするスタイルの仕丁です。
ページTopへ▲