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  お雛様の左右ドッチ

関東式と京式

 現在では男女の並び方は、結婚式でもわかる通り、男性が女性に対して右側、女性が左側です。しかし大正時代までは反対でした。
 古来より日本では中国の文化を取り入れてきました、現在の日本の文化の源と言っていい聖徳太子の制定した「冠位十二階」の頃、中国では左側(向かって右)が上座として序列が決まっていました。これを左上位と呼びます。
 中国の古典に「天使南面す」と有り、皇帝の住まいは南向きに建築されていました。日本の京都御所も南向きに造られています。すると皇帝から見て左側(東)は太陽の昇る方向で、上座(神座)となる訳です。
 ところが明治以降日本も西洋化が進み、大正天皇が、公式の席で反対に位置され、昭和天皇の即位から正式に西洋式の並び方に変わりました。
 関東の人形屋はこれに習い西洋式に変えました。しかし京都では日本の伝統を重んじ、変えませんでした。そこで二通りの並び方が存在するようになりました。

※但し、中国では左・右の上位が時代により変化しています。聖徳太子以前の中国では、(秦・漢の時代)右が上位とされていました。(しかし、この時代の右はやはり東を意味していて、見る方向により東が右になったり左になったりしました)また、漢時代に日本に伝わった文字(漢字)の影響で、「左遷(させん)」は右上位の言葉ですが、今も日本で使われています。「俺の右腕」も同様であるとする説も有ります。


即位の礼、並び方の真実   

 「昭和天皇の即位の礼から、西洋式に変わった」と云うのだが、皇后陛下が上位に成ったわけではありません。
 あくまでも上座は天皇陛下だ、とゆう事です。
 確かに前から見ると、皇后陛下が東側に位置しているのだが、上から見ると、天皇陛下のお立ちになる台(高御座(たかみくら))は皇后陛下がお立ちになる台(御帳台(みちょうだい))よりも1列前に位置し、しかも中央よりに位置しているのだ。
 これは第1列の上座はご不在であるが、第1列目に天皇陛下しか居らず、第2列目の上座に皇后陛下が位置した。となりあくまでも天皇陛下が皇后陛下よりも上座に位置するといった解釈になるそうです。
 

西洋の並び方の意味

 西洋はレディーファーストの国ですから、例えば、道路を男女で連れ立って歩く際は車道側を男性が歩き、女性を事故や引ったくりから守る。のように歩く方向によって、男性が右になったり左になったりします。
 しかし、基本は右上位の文化です、英語で右は、“right” で「正しい」という意味もあるので、左よりも上位な事が解ります。
 この並び方は、もしもの敵と戦う時、右手で剣を持ち、左手で女性をかばう、そんな位置が男女の並び方になったとの話もあります。

左(東)上位の文化

 日本では、左上位の文化の名残が色々な物事に色濃く残っています。

1.大相撲

 東(左)の横綱が最高位です。

2.舞台
 ステージの上手は左側で下手が右

3.あの人の右に出る者はいない。

 これは対面している民衆が言う言葉で、要するに、あの人よりも向かって右に立つ人はいない、あの人が一番、の意味。
※「右に出る」については「古い時代の中国の右上位の影響」と解説している方もいますが、中国にはこの言葉の使われ方が無いようで、日本で発生した言葉と思われます。

4.俺の右腕
 自分の大事な部下のことをこう言います。つまり自分は左に位置し部下は右側と云うことです。
※「俺の右腕」については「古い時代の中国の右上位の影響」と解説している方もいますが、中国にはこの言葉の使われ方が無いようで、日本で発生した言葉と思われます。武道館看板

5.縦書きの文字

 縦書きで文字を書く場合、向かって右側から書いていきます。これも左上位の表れです。横書きの場合現在は左から書きますが、以前は右から書きました。町で古い看板で見かける事が有りますね。

6.和服の合わせ
 和服の合わせは、養老3年(719年)2月3日に元正天皇が発布した衣服令『天下百姓をしてえりを右にせしむ』つまり、上は天皇から下は百姓まで、えり合わせをするときは、右えりを先に合わせると決められました。
 右側を下に、左側を上に重ねます、これも左上位になります。これを「右前」と呼びます。この反対に着せるのは死者で「左前」と呼びます。これから不吉な事、落ち目になる事を「左前」と言い、「会社が左前になる」とか表現されます。

※左前については「古い時代の中国の右上位の言葉」と解説している方もいますが、中国にはこの言葉の使われ方が無いようで、日本で発生した言葉と思われます。

7.皇太子

 皇太子のことを東宮(とうぐう)と呼びます、住まいを「東宮御所」といいますね、宮様の中で最も上位の宮様を東宮と呼ぶのです。東は左と同じ意味です。

8.天照大神の誕生
 古事記で伊弊諾尊(イザナギノミコト)が黄泉(ヨミ)の国から帰って来て、左の目を洗った時に天照大神、右の目からは月読命(ツキヨミノミコト、月の神)が生まれたのも太陽が月よりも上位ですから、左上位のお話です。

9.左遷(させん)の考察
 中国の劉邦(りゅうほう)(後の前漢の皇帝)は反(しん)連合に参加し、紀元前206年秦の都、咸陽(かんよう)を落として一時は関中を支配下に入れ秦王朝を倒し関中を平定した。
 しかし項羽(こおう)によって領地の約束は破られ、一地方であり奥地・辺境である漢中及び巴蜀が与えられた。劉邦を「左に遷す」と言ったことから、これが左遷の語源になったと言われている。しかしこの時の左は西を意味しており(漢中は関中の西南方向)、変わらず東が上座だった事が解る。
 つまり見る方向により(北を上に見るか南を上に見るかによって)東が右になったり左になったりしたのである。

10.書き順
  書いたり、話したりするのに、先に来るのも順番が有ります。「上下」「左右」「東西南北」で分かりますね。

11.左側通行
  古来日本では人も車両も左側通行でした、相手とすれ違う時、お互いに相手が自分の右側を通る事で自分の面子が保てる訳です。
  しかし、第2次大戦後、丁度自動車が普及しだしてきて、人が後ろから来る自動車に引かれる交通事故が急増しました。そこで当時日本を統治していたQHQ(進駐軍)は人と車両の対面交通化への指導を考えまず、自動車を右側通行に変えようと考えましたが、これには莫大な費用が必要なため、人を右側通行に変えました。(昭和24年道路交通取締法改正) 

お雛様の並び方

 殿姫の並び方は説明した通りの経緯で変わったのですが、殿姫以外は、昔ながらの左上位で並んでいると云えます。
1.三人官女
 向かって右に長柄銚子(ながえのちょうし)、向かって左に加銚子(くわえのちょうし)を持つ女官を配置します。長柄(ながえ)が本酌、加(くわえ)が従酌なので長柄が左上位となりますから向かって右に飾ります。
2.五人囃子(ごにんばやし)
 (うたい)い手が主役なので、左上位となり向かって一番右になります。
3.随身(ずいしん)
向かって右が「左の随身」、向かって左が「右の随身」です。左上位で左のほうが上官となるので老人、右が若者です
4.桜橘 
 昔から「一に桜二に橘」と言われ、桜が左上位に置かれます。

                                     
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